メンターを持てというのは無理ゲーだと思った話

メンターを持てというのは無理ゲーだと思った話

メンターというのは仕事においてキャリアや人生設計などにおいてお手本になる人のことを言う。私は社会人になったらメンターというべき理想の存在がおり、そうした人に日々刺激を受け向上できると思っていたのだが、人生というのはそう思った通りに進まないのである。メンターというのはそうそう見つかるものではない。

私は現在社会人になって約10年、メンターとなる理想の上司に遭遇することは結局無かった。それに近しい人が存在の人はいたけども理想の人には巡り合わなかった。

私が唯一メンターと言うべき人と出会ったのは22歳ごろ。バイト先の社長である。彼は高校の頃に海外へ単身留学し、ITの専門学校を卒業後に日本で就職、程なくして独立起業した人だ。平々凡々と生きてきた私にとっては憧れの存在であった。言動すべてが刺激的で、プライベートでも有名で友達も多く、好きなことをして過ごしているその姿は当時のワタシとしては衝撃的な存在であった。

社会人になり、会社に就職して周りを見渡すとそうした刺激的な人はおらずがっかりした。今考えてみると当然のことで、会社とは同レベルくらいの人が所属するような組織だからだ。ときたまぶっ飛んだ人もいたりするのだが、そういう人は自ずと会社をやめていってしまう。なので遭遇率は低いのは当然なのである。多分私が求める理想の人は自分の生活圏外にいるのだろう。普通に生活していては出会えない。

学生時代に私がメンターと呼べる人に出会ったというのは、会社という枠組みから外れた存在なので遭遇率が高かっただけなのだ。

社会人になったらメンターと出会うというのは実は無理ゲーなのである。たまたまそういう人に出くわすこともあるだろう、それは非常にラッキーなことだ。私のように平々凡々と過ごし、入社した会社にはそうしたメンターと言うべき存在することはあまり期待するべきではない。そうした人に出会いたいのであれば、自分の生活圏外に出るべきだろう。

メンターがいないと成長できないのか?

成長できないことは無い。ただ考え方を変える必要はあると思う。

結論から言えば、少し上の先輩や上司、周りを見て将来こうはなりたくないな、という負の感情を、成長したいという正の感情へと変換するのである。

新卒の頃、私はそうしたメンターとなるべき存在がおらず戸惑った。一体何をお手本にすれば良いのか?何処へ向かって走れば良いのか?当時の私は分からずに右往左往していた。分からず迷走が続き、無理してメンタルも壊し、絶望して諦めたところで環境を変えることを決意した。いや、実はもっと前から考えていたことではあるのだが、変化することを決意したのだ。つまり転職である。

人間窮地に立たされると行動するもので、転職をするきっかけというのはそういうものなのだと思う。

早く転職する人は人よりも多くこうなりたくないという危機感を持っているし、転職に踏ん切りがつかない人は危機感が薄いのだろう。もっと言えば解像度が低い。危機感がある人は周りがそいういうマインドなのか、成功者が多く劣等感が多いのかはわからないが、とにかく危機感への解像度が高いと思われる。

私は危機感への解像度が低かったために、ダラダラと前職で7年半も働いてしまった。(今となって思えば色々と仕事のやり方を覚えられたのでラッキーだと思う)いや、これが私のベストだったのだ。

さて、長々と書いたが何が言いたいのかと言うと、メンターというのは中々見つからないのでメンターを持てというのは中々無理ゲーだということだ。なので、メンターを見つけられたら超ラッキーで幸せなことなのである。そういう人は大事にしよう。

以上