私は何を隠そう小学生時代常に半袖短パンであった。雪の降りしきる冬の寒い日だろうがお構いなしに365日半袖短パンを着ていた。もちろん家が貧乏過ぎて服が買えないというわけではなく、長袖のシャツやズボンもしっかりと持っていたし、冬も人並みに寒かったのだがその当時なぜか私は半袖短パンだった。
皆さんはなぜ彼らが半袖短パンだったか、その謎を知りたくてこの記事にたどり着いたのではなかろうか?
今回はそんな謎の生き物である半袖短パン小僧について、自身を振り返って半袖短パンである理由を紹介しよう。半袖短パン小僧は強そうに見えて実は繊細な性格の人が多い。(と思う)そんな彼ら(というか私)の知られざる内面について述べて行く。
この記事は
- 半袖短パン小僧の正体を知りたい方
- 自身も昔半袖短パン小僧だった
という方に向けて記事をかいている。
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なぜ365日、半袖短パンなのか?馬鹿なの?
今思い出せば不思議なことなのだが、なぜ小学生の時私は常に半袖短パンだったのだろうか?その時の気持ちを思い出しながらその理由を探ってみた。が主に以下の2点に主役されるだろう。
- 承認欲求の充足
- 親の怠慢
承認欲求の充足
まず第一に来るのはこれだ。私は自慢ではないがいわゆるクラスの落ちこぼれであった。ドラえもんで言うとのび太君のようなキャラだろう。
寝坊による遅刻は当たり前、忘れ物はするし宿題もやって来ない(ちなみに夏休みの宿題一回たりとも完成させたことはない)、掃除中に友達と喋って怒られることなどざらだ。プライベートで火遊びをして先生に呼び出されて怒られたことも数知れず。定期テストはいつもドベで居残り補修もよくやった。いわゆる糞ガキだ。そのくせ給食は誰よりも早く食べ、誰よりも多く食べていたのだ。全くもって救いようが無いw.先生もだいぶ手を焼いただろう。
そんなのりを少年だが、一端の男子のためやはりプライドがあり、先生に怒られるたびにそうしたプライドがズタズタに切り裂かれるような気持ちになった。当時の小学校の先生など暴力当たり前だし、クラス全員の前で公開処刑も日常茶飯事だ。クラスのみんなの前で恥ずかしげもなく泣いたこともある。。。
ちなみに私は今でも強烈に印象に残っている事件がある。それは、修学旅行の座席のペアを決める際の話だった。先生の粋な?はからいで座席は男女ペアになるというものだった、そしてその組み合わせは生徒自身に委ねられ、好きな女子と男子でペアを決めて良いということになった。この時私は、当時優しくしてくれた女の子にペアを申し込んだのだが見事断られ、挙句ペアが一人だけ決まらないということでクラスの皆の前に立たされ、先生に説教されて泣いた。結局座席は一人で、最悪の修学旅行となった。。。今思い出すだけでも悲しくなる事件だし、鮮明に当時の事が脳裏に蘇る。そしてこの時、表面上やさしくしているが、いざという時に裏切る人間の怖さというものも目の当たりにした。
このように常に怒られていると人に褒められるという経験が枯渇する。そうすると勉強、スポーツ以外で人に認められるための武器を自然と模索するのだ。クラスで人気者(ちびまる子ちゃんでハマジ的なキャラ)は面白い話や行動で人の気を引くことで自尊心を満たしているし、ゲーム好きなら勉強もスポーツもできなくてもヒーローになれる。しかし、そうした一芸にも秀でていない不器用な人は自分の身を犠牲にし、人の目を引こうとする。その一種が半袖短パン小僧というわけだ。
親の怠慢
普通ならこうした異常とも取れる行動(365日半袖短パン)は、親がそうした行動は間違っていると教える必要があるだろう。それは世間の目もあるが、常識的な事を教える義務がある。しかし、親が子供に見向きをしないいわゆるネグレクト状態の子供は親の放置のためこうした異常な状態となっていても野放しとなっている。本人はそれが異常だと自覚しないまま過ごしている。(例外はいるかもしれないが)
だれも注意しないのであれば子供というのは無法地帯もいい所、一般的に見ても異常とも取れる行動を平気でしてしまうものだ。私の場合も、父親だけの片親だったし、兄弟も多かったため放置されて悪い意味で伸び伸びと育ってしまった。(正に野比のび太)そうした結果、服装も適当になり結果、半袖短パン小僧となって世間を驚かせていたのだ。
半袖短パン小僧は社会の闇の象徴!?
いつもキラキラして誰にでも笑顔、文武両道、家はベンツの坊っちゃん、お嬢ちゃんを光と表すと、出来が悪くて、素行が悪い不良や短パン小僧はこの世の闇である。光ある所に闇があるのだ。
私は小学生の頃はこのように、実はやさぐれていた。この世はなんと不平等で残酷なのだと子供ながらに感じていた。だから、半袖短パンを身にまとうことで己をピエロと化し、世間の気を引き少しでも注目を集めようと努力していたのだ。
ちなみに、こうした不思議キャラであったためクラスではかなりのイジラレキャラだったが、それでも様々な沢山の友達ができたことには感謝している。今でもその当時優しくしてくれた友人には感謝している。本当に心が綺麗な友達ばかりで私はそれだけでも運が良かったと言っても良いだろう。
中学生にあがると半袖短パン人生が終わった
中学に上がると制服があり、それと同時に私の半袖短パン小僧人生は終焉を迎えた。今でこそ、制服は没個性だとして避難されがちだが私のような人間にとって非常にありがたかった。それは、皆平等に同じ服を着るためだ。そこには社会的格差や親の良し悪しは関係無いのだ。
高い服を買わなくていいし、何より服でいじられるということが少なくなる。(もちろん清潔感の無いのは論外だが、、、)制服なら親も買わざる負えないし、毎日服について無駄に悩むことが無い。これは思春期の子供達には実は大変ありがたい制度である。もし制服制度がなければ、服に金をかけられない家庭の子供はクラスのカースト制度の最底辺間違い無しだろう。
私の場合はそもそも兄弟が多すぎて自然と兄のボロボロのお古を着ることが多かった。(しかし、服に関しては制服で問題ないのだが髪型については私は家のバリカンで坊主か1,000円カットしか許されていなかったため常に残念な髪型で女の子に全くモテなかったのや言うまでもない。。。)
まとめ
なぜ半袖短パン小僧は半袖短パンを常に着ているのかその理由は以下2点。
- 承認欲求の充足
- 親の怠慢
彼らは決して変人なのではなっく単純に不器用なだけだ。周りの友達もそうした人にも優しく接することで彼らは救われる。あんまりいじめないでやって欲しい。
ちなみに私はこの時代にうけた屈辱的な扱いがその後の人生での原動力になった。大学進学、大学院と就職とまぁまぁの人生を送れているのはこの時代、半袖短パンで過ごしたことによる影響も少なからずあるのではなかろうか。
おわり
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